ストーリー

ショート・ストーリーズ・・・エスカレーター

 7月20日

 私はデパートの1階から2階に上がろうとエスカレーターに乗っ
ていた。
 今日から夏休みなのだろう、家族連れの客がやけに多かった。
 
 何気なく2階から下りて来るエスカレーターに眼をやった。
 数人のフィリピーナ達が何か話し、そして笑っている。
 その中の1人が私の方をじっと見ているのだ。

 「ハイ、ケイ。」
 
 名前を呼ばれてやはり彼女である事を理解した。

 「ハイ、ダイアン。」
 「ア~、オボエテタカ? クムスタ カ ナ?」
 「オオ、マブティ。イカウ?」
 「オケィ ラン。」


 *             *             *


 「ハナタバ アリガトナ~。」
 「どういたしまして。」

 ダイアンのサヨナラ・パーティの日だった。

 「アコ、ゼッタイ コノオミセ カエッテ クルナ。」
 「オーケィ、でもその前にアコ、イカウに逢いにフィリピン行く
から。だから帰って携帯買ったら番号教えてよ。」
 「オケィ。アコ フィリピン カイル。スグ ケイタイ カウヨ。
デ、ケイニ デンワ スルナ。」
 
 そう言って彼女はフィリピンに帰っていったのだ。
 それから数日経ち、数週間が過ぎ、3ヶ月後、隣の県のフィリピン
・パブに彼女が帰ってきていると言う噂を耳にした。

 私は彼女に逢いに行こうかと思ったが、すんでのところでその誘
惑を断ち切り、前に彼女がいた店に行ってみた。

 「ハイ、クヤ、ヒサシブリ。」

 私に着いたのはジュリといい、ダイアンが帰る1ヶ月前に3度目の来
店をしたコだった。

 「クヤ、ダイアン ゲンキ?」 
 「ああ、もう連絡無いよ。」
 「ソウカ、イマ シャ ニホンニ イルヨ。」
 「うん知ってる。隣の県の店だろう。」
 「ア~、シッテルカ。」
 「うん、昨日友達から聞いたよ。」
 「ソウカ。デモ ヨカッタヨ。」
 「何で?」
 「シャ、アサワ アルカラネ。」
 「そうなの?フィリピン人?」
 「オオ。ダカラ ハヤイ ワカレル ガ イイ。」
 「そうか。或る意味ラッキーだったんだ。」
 「オオ、ダカラ コレカラワ アコニ シナサイ。」

 そう言ってジュリは“キャハハハ”と笑っていた。


 *             *             *

 「ゴメンナ、デンワ カウ デキナカッタヨ。」
 「そうか、いいよ、別に。」
 「イマ アコ 《サンパギータ》ニ イルヨ、マタキテナ。」
 「オーケィ。またな。」
 「ジャ、カラダ キヲ ツケテナ。バーバイ。」
 「うん、イカウもな。じゃ、バーバイ。」

 私は登りエスカレータで下を向き、ダイアンは下りエスカレータ
ーで上を向き、手を上げていた。

Kumain ka na?・・・16

 シュガーが我が身を投げ出して守った筈の小さな命は、この世に
出てくる前に失われてしまった。
 数日間彼女は泣き続けていた。

 その間私は彼女をレイプした男を調べた。

 沢井祐二と言う男だった。30半ばのチンピラで直接暴力団に所属
はしていないが、それなりに繋がりがあった。
 この男に暴行を働かれたフィリピーナや日本人ホステスは相当な
数に上るのだという事も解かった。

 私は決行する日を窺う為に、彼の行動を探った。

 彼にはシュガーと並行してもう1人のホステスを狙っている事が解
かった。中国人留学生だった。
 ただ、その店はごく普通のクラブであり主に日本人ホステスがいる
店だった。
 そして、その店から心斎橋筋を通り、難波の駅まで歩いて帰るのだ
という事も解かった。

 後は、彼がその店を出て来るのを待つだけだった。
 私はその日から毎日店の入り口が見える所に立ち、見張った。

 そんな数日が過ぎた。
 笑顔の無いクリスマス・イブの翌晩だった。
 ようやく彼が店に入った。
 そして2時間後、出て来た。

 私は彼の後を付いて歩いた。そして心斎橋筋に入った。午前2時だ
った。
 辺りには殆ど人気が無かった。
 ゆっくり彼との間隔を狭めた。

 5m程の距離になった。
 私の心臓はかつて無いほどに高鳴り、口内には生唾が溢れてきた。
 走った。そして彼に当身を食らわせた。
 殴った。首を絞めた。
 何かが私にぶつかって私は跳ね飛ばされた。目の前にシャッターが
迫ってくる。
 頭からぶつかり、そして意識が無くなった。



 気が付くと留置場に居た。
 もう明け方だった。

 朝から取調べを受けた。
 その時、沢井が死んだ事を聞かされた。
 特に嬉しくも無く、また、後悔も無かった。
 ただ、やらなければならない事を成しえた、という気持ちだけが
あった。

 その後裁判を経て、実刑が確定した。
 多少の情状酌量はあったものの6年の刑務所入りとなった。

 
  *            *            *


 無味乾燥という言葉がピッタリと当て嵌まる天井にヤモリが1匹、
朝までただじっと獲物が来るのを待っている。

 あれから4年、ずっとこの天井を見続けている。
 藍はもう7歳になろうとしている。
 私とシュガーももうすぐ29歳である。

 夜が明け、点呼を受ける。
 朝食を食べ、一応仕事をする。
 昼食を食べ、少しの自由時間がある。

 「217番、面会だ。」
 「はい。」

 私は面会室に連れて行かれた。

 透明なアクリル・ボードの向こうにシュガーが1人で座っている。
 一緒に暮らしたあの数ヶ月間と遜色無い美しさだ。

 私は向かい側にある椅子に腰を下ろした。
 彼女は満面の笑みを浮かべ、私の方に身を乗り出してきて言った。

 「ゴハン タベタ?」


              <完>

Kumain ka na?・・・15

 レイプだった。

 病院で顔の手当を受け、念のため精密検査を受けた。
 彼女の顔を見れば、一目瞭然暴行である。病院で警察に通報する
かどうかと聞かれたが、シュガーは頑なにそれを拒んだ。だから私
も無理にはそれを薦めなかった。

 レイプされた事はマンションに帰ってから彼女に聞かされた。
 私がシュガーと出逢うより以前から、彼女にモーションをかけて
いた男だと言う。
 ずっと同伴を断り続けていたのだが、あまりしつこく行ってくる
のでOKしたのだ。
 最初、彼は紳士を振舞っていたのだが、酒が入ると徐々にその本
性を見せ始め、無理やりホテルに押し込まれ、顔を殴られたのだ。
 シュガーは腹を殴られるのが嫌で仕方無しにその男を受け入れて
しまった。

 彼女を見つけたとき、最初に何度も“ゴメンナサイ”と言ったの
はそういう理由からだったのだ。
 男は事が終わると逃げるようにホテルから去って行った。
 シュガーは汚れた体を冷たいシャワーで洗い流してからホテルを出
て、私の携帯電話にコールしたのだった。

 「ゴメンナサイ、ケイ。」
 仰向けに寝ている私にシュガーが言った。
 「謝らないでいい。悪いのはシュガーじゃない。1つの命を守ろう
としたんだ。だからそれは仕方が無い。」
 「デモ、アコ サイゴマデ テイコウ デキナカッタ。」
 「だからそれは仕方が無いんだ。」

 シュガーを抱きしめた。額にkissをした。頬にkissをした。
 じっと閉じられたシュガーの瞼からは涙が浸み出していた。


 いつの間にか眠っていた。
 ただ、シュガーの喘ぐような声を聞いたような気がして目が覚めた。

 「アアー、アアー。」
 眼を開けると本当にシュガーが喘いでいた。自分の腹を押さえて。

 「どうした?腹が痛いのか?」
 シュガーは喘ぐばかりで声にならなかった。

 私は飛び起き部屋の灯りを点けた。
 私は凍りついた。シュガーのパジャマの下半身が真っ赤に染まっ
ていたのだ。
 何が起こっているのか想像が付いた。
 すぐに救急車を呼んだ。
 10分後、救急病院に向かう車の中にいた。藍は私に抱かれて眠っ
ている。目の前には腹を押さえのた打ち回るシュガーに応急処置を
施す救急隊員がいる。

 ただ、私の眼には映画かドラマのワンシーンのように映っていた。

Kumain ka na?・・・14

 「ケイ、アコ ドウシテモ ドウハン シナイト イケナイ。」

 クリスマスがもうすぐという頃だった。

 「どうしても、なの?」
 「オオ、イツモ タクサン オカネ ツカッテクレルヨ ソノオ
キャクサン。ダカラ モウ コトワレナイヨ。ダカラ 1カイダケ 
イッテイイ?」
 「そう、それじゃ仕方ないな。」

 私がシュガーと一緒に住むようになってから、彼女が同伴やアフ
ターをしたことは無かった。
 特に私がするなと言ったことは無いのだが、彼女自身がそうして
いたようだった。
 だから、今そう言われても特に反対する理由も無かったのだ。

 「別に怒ったりしないから気にせず行ったらいいよ。でも、お腹
の子の事は忘れないように気を付けてね。」
 「オオ、ワカッテル。アリガトウ ケイ。」

 
 彼女が同伴すると言っていた日、私は20時過ぎに藍を迎えに行き、
21時前にマンションに戻っていた。
 何時も通り、シュガーが作っていった夕食を温めなおして、藍と
一緒に食べていた。

 21時30分を少し回った頃、私の携帯が鳴った。
 シュガーからだった。
 無事同伴が終わったから心配しなくていい、という内容の電話だ
ろうと思いながら通話ボタンを押した。

 「シュガー?もうお店?」
 「・・・・・・・・・。」
 「もしもし、シュガーか?」
 
 何処かの道路の音が聞こえる。結構車通りの多い道路のようだっ
たが、それ以外は何も聞こえない。

 「もしもし、シュガー、どうした?」

 嗚咽だけが聞こえてきた。
 私は胸騒ぎがし、携帯電話を持つ手が汗に濡れていた。

 「もしもし、おいシュガー、どこに居る?どうした?」
 「・・・ヶ、ケイ、タスケテ。」
 
 全身が震えた。

 「シュガー、どうした、どこにいる?何があった?」
 「サカイスジ、ドウトンボリ ノ トコロ・・・。」
 声が震えていた。

 「堺筋と道頓堀の交差点辺りだな、そこを動くな。すぐタクシー
で行くからな。待ってろよ。」

 そう言って電話を切り、藍を抱きかかえ部屋を飛び出した。
 エレベーターを出てから駅の側のタクシー乗り場まで走った。
 幸いタクシー待ちの客は居らず、すぐに車に乗ることができた。

 「日本橋北詰めまで。」
 ここからだと10分で着けるはずだ。だが、私はタクシーの中でも
走り続けたいと思っていた。
 
 タクシーは六万体を過ぎ、谷町9丁目を左折し千日前通りに入る。
そのまま西に走り日本橋を右折した。もうすぐそこにシュガーが居る。
 
 「着きましたよ。」
 私はお金を渡し、つり銭を貰わずに車を降りた。堺筋を少し南に行
くともう1つ信号がある。シュガーが説明した場所である。
 
 シュガーを探した。
 いない。
 辺りを見回した。
 1件の本屋の前にうずくまっている女が1人居る。
 私は走り寄った。

 「シュガー。」
 
 女は顔を上げた。シュガーだった。ただ両目の周りが腫上がり、唇
の端が切れていた。

 「・・・ヶ、ケイ。」
 彼女の声は泣き声だった。
 
 私は右腕で彼女を抱き寄せた。
 「どうした、何があった?誰がこんな事をした?」
 「ゴメンナサイ。ゴメンナサイ。」
 「取り敢えず病院に行こう。話しはそれからゆっくり聴くから。」
 「ゴメンナサイ。アコ コワカッタ カラ・・・。」

Kumain ka na?・・・13

 彼女との生活は楽しかった。
 藍もすぐに私に懐き、何時しか《パパ》と呼ぶようになっていた。
余程父親の存在に飢えていたのだろう。

 一緒に住むようになっても彼女は相変らず店には出ていた。
 勿論私はそれに依存は無かったし、むしろ経済的にはそうして貰
わなくてはならなかった。
 彼女が出勤前に保育園に藍を預け、私が迎えに行くようにしていた。
 当然ながら私が彼女の店に行く事は無くなった。

 
 「モウスグ クリスマスネ。」
 12月の最初の日曜日だった。
 「うん。藍にプレゼント買わないといけないなあ。勿論お前にも。」
 「アコワ モウ モラッタカラ アイ ダケデ イイヨ。」
 「えっ?何もあげてないよ。」
 「モラッタヨ、ケイノ ベイビィ。」
 「子供出来たの?」
 「オオ。」
 「ホントに?」
 「何時判った?」
 「サイキン レグラ ナイカラ キノウ ホスピタル イッタヨ。
ドクター イッタ。“オメデトウゴザイマス”ッテ。」
 「そうなのか?何でもっと早く言わない?」
 「ケイ ビックリ サセヨウト オモッテ。」

 そう言ってシュガーは笑った。

 私は呆気に取られて言葉が出なかった。

 「ケイ、ウレシク ナイカ?」
 「えっ、いや、ビックリして言葉が出なかっただけ。嫌じゃない。
凄い嬉しいよ。」
 「ホント?」
 「オオ、目茶苦茶嬉しい。で、男?女?」
 「エエ~、マダ ワカラナイヨ。」
 「そうなのか?」
 「オオ、マダ ワカラナイ。」
 「そうか、いや、でもどっちでもいい。健康な子だったらそれで
いい。」
 「クリスマスプレゼント デショウ?」
 「おお、ホントクリスマスプレゼントだ。」

 私はあまりの嬉しさに、すぐ側にいた藍を抱き上げ、その柔らか
い頬に何度もkissをした。
 訳も解らず藍はただただくすぐったがるばかりだった。
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